お清め風水~塩のパワーとルーツを知る~

 古今東西、人々に寄り添ってきた塩のパワー 

日本のことわざには、「塩」という言葉が使われたものがたくさんあります。それだけ塩が、古くから日本人の生活に寄り添ってきたということですね。

 敵に塩を送る

1番有名なものは、おそらく「敵に塩を送る」でしょう。争っている相手の弱みにつけこむことをせず、争いの本質ではない部分では援助を惜しまない、という意味のことわざです。これは戦国時代の古事由来しています。武田信玄が塩を手に入れられず困っていたとき、敵将の上杉謙信がフェアな戦いをするために塩を送った、というエピソードを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

 うまいまずいは塩かげん

この世に調味料はたくさんありけれど、塩ほどに料理の味を左右するものはない、という意味です。転じて、料理の味は塩しだいで決まる、という使われ方もします。

 塩梅(あんばい)

物事の具合やようすのことを「塩梅」といいますが、これも、もともとは料理の味付けには塩と梅酢が基本であったことが語源です。塩が特別な調味料であるという考え方は、風水だけでなく、料理の世界でも当たり前になっているということがよくわかりますね。

 塩も味噌もたくさんな人

「確実な人」を表すことわざです。塩や味噌は、食生活ではなくてはならないものであることから、必要なものを充実して持っている人指して、このように呼ばれるようになりました。似たようなことわざがヨーロッパにもあり、すぐれた経験や教養を持つ人のことを「塩の豊かな人」といいます。

 海外での塩

塩は古くから、海外でも重宝されてきました。今でこそ、機械を使って大量に生産することができますが、昔はそうもいきません。手作業で、大変な苦労をして塩がつくられていたのです。それに、今ほど調味料の種類も多様ではなかったため、味付けのための塩は非常に貴重なものでした。

紀元前7世紀ごろの古代ローマでは大きな製塩場がつくられ、そこでできた塩を運ぶための道を特別に「塩の道」と名付けていたという話があります。

また、彼らが奴隷を買う際に、通貨の代わりに用いられていたのが塩でした。今でも「米塩の資(べいえんのし)」という言葉があるように、当時の塩は生計をたてるために必要なものでした。支払われる塩は、ちょうど奴隷の体重と同じだけの量だったそうです。

塩が人間と同等に取り引きされていたというのは、今の我々の感覚ではびっくりしてしまう話ですが、当時のローマ人にとって、塩がそれだけ高価で貴重なものだったということですね。

ちなみに、給料を表す英語の「サラリー」は、塩の配給制度を敷いていたローマ人が使っていたラテン語の「サル(塩)」が由来です。このエピソードからも、当時、塩がどれほど価値のあるものだったかが伝わってきます。

 古代中国での塩

今から2000年以上も昔の文献である『史記』『周礼(しゅらい)』にも塩に関する記述が登場します。当時、塩はすべて王侯のもとに集められ、王は人民を掌握し支配するために、塩を分配しました。塩を管理する官職もおり、重く用いられていたそうです。塩を税金の代わりに納めた時代もあり、許可なくつくったり売ったりすると極刑に処されたという話があります。

 塩の防腐効果

塩には防腐作用があり、冷蔵庫が発明される前までは、食糧の保存には塩を使うのがふつうでした。塩水が殺菌の繁殖を防ぐことができるのです。またエジプト人は、ミイラをつくるのに塩を使っていたそうです。これには塩が持つ呪術的な力が必要であったと考えられています。


 宗教と塩の関係 

旧約聖書のレビ記2章第13節には、「あなたの穀物の捧げものにはすべて、塩で味を付けなければならない。あなたの穀物の捧げものに、あなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたの捧げものには、いつでも塩を添えて捧げなければならない」という内容が記されています。つまり、神と人との間の契約の象徴が、ほかならぬ塩だったのです。旧約聖書では、それだけ塩が神聖なものとして考えられていたようです。

たしかに、先ほどから述べてきたように、塩が今よりずっと高価で貴重なものだったころがありました。しかし、塩が神と人をつなぐものだったというのは、それだけでは何だかピンとこない気もしますね。

これについては議論が分かれるところらしいのですが、興味深いのは、先ほどの塩に関する文章の2節前、レビ記2章第11節の文章です。それは、「あなた方が主に捧げる穀物の捧げものはみな、パン種を入れてつくってはならない。パン種や蜜は、少しでも、主への火による捧げものとして焼いて煙にしてはならないからである」というものです。

なぜこれが興味深いかというと、そのポイントは、パン種も蜜も、ともに発酵作用、つまり「腐敗」を促すものであるところです。一方の塩は防腐作用を持ち、腐敗の概念とは対極にあるアイテム。塩というアイテムが持つこの永遠性が、神と民の間にある契約を表すのに最も適した象徴だということを裏付けているのです。

このような点から、塩は旧約聖書では神聖なものと見なされていたのです。ちなみに、現在のキリスト教でも、塩は「ピュリフィケーション・ソルト」と呼ばれ、お清めのために使われています。有名なマタイ伝の中の「あなた方は地の塩です」というキリストの言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。

さらにイスラム教でも、供物として用いられる羊を殺したときには、お清めの意味で塩を振りかける習慣があります。ヨーロッパでも、古くから塩には魔除け効果があると考えられてきたそうです。


 盛り塩のルーツ 

料亭や寿司店に行くと、よく玄関口に山盛りに塩が盛ってあるのを見かけますが、これには「お清め」と「客寄せ」の2つの効果があります。

 盛り塩のルーツ

中国に伝わる「牛問い婚」です。何人もの妾妃(しょうひ)を持つ皇帝が、牛車に乗って毎夜、彼女たちの家を訪ねていました。あるとき、行き先を決めずに牛の歩きに任せてみると、決まったようにひとりの妾妃の家に牛が向かうのです。理由は、家の前に器に盛られて置かれた、牛の大好物である塩にありました。この話から、塩が客を呼び込むと伝わり、盛り塩が生まれたのだといわれています。

 日本での盛り塩の誕生

中国と似た言い伝えがあります。

奈良・平安の時代には、人々が家の戸口に塩を盛っていました。それを牛が舐めにくると、牛に乗っていた高貴な身分の人も家に立ち寄ることになり、縁起がいいと考えられたそうです。塩を盛ることで幸運がやってくるという考え方は、このころの日本に生まれつつあったそうです。


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