お清め風水~塩のパワーを知る!~

 塩は神様からの最高の贈り物 

みなさんは「お清め」という言葉から、どんなものを思い浮かべますか?水やお酒、榊(さかき)などと並んで、「塩」を真っ先に思い浮かべる人も少なくないでしょう。お通夜からお葬式から帰った人に、自宅の前で塩をパッパッと振りかけるのにも、お清めの意味がありますよね。

もともと塩には“結界”をつくる作用があり、「ここから中には入らせない」「不運を入れない」という効果がありました。また塩は、パワーを補給してくれる効果も持っています。

 相撲で使われる塩

この2つを端的に表しているのが、かつて神事でもあった相撲です。力士は土俵入りの前に、ケガがないようにとの願いから土俵に塩をもきますが、これは「清め塩」、または「力塩」と呼ばれます。

「清め塩」

塩が持つ清めの効果によって、不運を土俵の中にいれないという意味の呼び方です。また、塩には殺菌作用があり、もし土俵で転んでかすり傷ができても、土にふくまれた塩分が化膿を防いでくれるという実用的な意味もあります。

「力塩」

塩の力が力士の気力を充実させて、闘うためのパワーを補給してくれるという意味があります。土俵に入る前に塩をぺろっと舐める力士もいますが、これには塩の持つパワーを体内に取り入れて、自らを奮い立たせる効果があるのです。

 家を建てるときの塩

新しく家を建てるとき、工事に取りかかる前に敷地で地鎮祭を行うときには、神職が地面に塩をまきます。これも、「工事が無事に終わりますように」と塩の力でその土地を清める意味と、「新しい家で、家族に幸運が訪れますように」と土地のパワーを高める意味があります。このように塩は厄を祓い、幸運を呼び込むことができることから「お清めの王様」だと考えられているのです。

 その他、塩の効果

風水でも、「塩は、すべてのバランスを整えるパワーアイテム」と考えられています。だからこそ、家の中の水場や気の流れの悪い場所に使うと、厄を浄化し、運気を正しく整えてくれるのです。また、塩には「運のタイミングをよくする」という効果もあります。「困っているときに限ってトラブルが重なり、運が悪いな」と思った経験がある方も少なくないでしょう。そんなとき、塩を自分に振りかけたり、方位や場所などにこだわって使ったりすることで、引き寄せたい運を狙ったタイミングでつかむことができるようになりますよ。

わたしたち人間、いや生物にとって、塩は生きていくためにとても大切なものです。塩は古くから食糧保存のためにも使われるなど、わたしたちの食生活においてもなくてはならない調味料です。さらに、厄という目には見えないものを祓ってくれる効果もあります。そう考えると、塩は神様がわたしたち人間にくださった、最高の贈り物だと思いませんか?その塩を上手に使った人が幸運を引き寄せられるというのは、当たり前のことだと私は思います。


 なぜ、塩=お清めなのか? 

四方を海で囲まれた日本では、塩は古くから私たちの生活と切っても切り離せないものでした。海水を天日で乾燥させ、それこそ「手塩」にかけてつくった塩は、非常に貴重なものだったのです。塩は毎日の食事に欠かせないのはもちろん、殺菌作用があるので、食べものを保存するときや歯を磨くとき、風邪を予防するときなどにも用いられてきました。

神事においては、現在でも塩は「清め」として使用されています。神社ではお祭りのときに大麻(おおぬさ:榊に紙を細長く切った紙垂をつけた玉串の大きいもの)と塩湯(えんとう:塩をお湯に溶かしたもの)を使いますが、大麻は「祓い」の、塩湯は「禊ぎ」のパワーを持つと考えられています。禊ぎは「身削ぎ」が語源という説もあるように、体に付いた罪や穢れなどを清めることをいいます。それに対して祓いは、心を清めるためのものです。外からやってくる不浄なものを追い払うこと目的としています。

塩は神事に用いられるだけではなく、一般の家庭でも神様への「お供え」とし使われてきました。あなたの家でも、神棚に水やお酒、お米と一緒に塩をお供えしていませんか?その塩が、だんだん家中を清めるものと考えられるようになったのです。


 「気枯れ」から元気を取り戻すための塩 

神道のお祓いにおいても、塩が用いられます。

『古事記』の中で紹介されている神話にも、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、妻である伊弉冉尊(いざなみのみこと)がいる黄泉の国から戻ったあと、日向(ひゅうが)の阿波岐原(あはぎはら)で死の国の「ケガレ」を祓うため、海水につかって禊ぎを行ったというエピソードがあります。

禊ぎに塩を多量に含む海水が用いられたことから、神道において塩がお清めの効果を持つものとされるようになったといわれています。また、この禊ぎは黄泉の国からこの世に帰ってくる「黄泉がえり」の儀式でもあったそうです。

ちなみに、神道でいう「ケガレ」とは、決して死者を穢れとして扱い、忌み嫌ったり冒涜したりする言葉ではありません。「ケガレ」は「気枯れ」と書くように、気力が枯れてしまったことを意味します。死とは生命力が枯れてしまった状態ですし、死に触れた人が悲しみ、元気が出なくなってしまった状態も「気枯れ」なのです。つまり禊ぎとは、自分自身の気力を満たし、元気を取り戻す行為のことなのです。そのために用いられるのが、ほかならぬ塩です。神道では、わたしたちは塩が持つ清めのパワーで「気枯れ」の状態から抜け出し、活力に溢れた日々を送ることができると考えられているのです。


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